2010/08/03

ノビル系デンドロビューム品種改良の歴史

育種改良の歴史

原産地の状況

  わが国で最も多く栽培され、親しまれているノビル系デンドロビュームの原産地は、ミャンマー北部やインドの北東部、タイ、ラオス、フィリピン、それに中国南部などのヒマラヤ山麓一帯の高冷地であり、平均して海抜1000から1500メートルくらいの高冷地の樹木に着生しています。

原種01原種02ノビル
枯れ木に着生する様(撮影地タイ)
大木に群生する様子(撮影地タイ)
ノビル(ノビル系デンドロビュームの基礎となった品種)

育種の始まり

18世紀の後半、原産地であるインドを植民地として支配していた英国人たちによって、多くの蘭の原種が採集されました。それがヨーロッパに紹介され、貴族の趣味として栽培が始まりました。やがて人工交配による育種が始まったのです。
最初にAinsworth氏によって、オーリウムとノビルが交配され、1874年に開花してアインスウオーシーと名付けられました。この最初の交配種は、ノビルに比べ、色彩が鮮明で花付きも良く、観賞価値が一段と優れたものでした。この品種は当時わが国にも数種類の変異個体が輸入されアインスウオーシー‘ヨコハマ’と名づけられた。1887年にVeitch氏によって、フィンドレアナムとノビルを交配したシビル。1890年にはセッコク(moniliforme)とノビルを交配したカシオープがCookson氏によって発表され、小型デンドロビュームの先鞭をつけました。
その後1900年代に入り英国のR.G.Thwaites氏によってスエテーシーやチエシングトネンス、ブラツキアナム等が発表されました。このスエテーシーは、黄花の代表種として愛好され、現在の黄色系品種の先祖となっています。英国のColman氏は1909~1924年の間にレディーコールマン、ロイヤル・ソベリン、パーフェクション、メリーケン、ガットン・モナークなどの優良花を発表し、それらはわが国にも輸入され、長い間栽培されて、現在の紅紫系品種の基礎を築きました。1926年には、同じぐ英国人のHorridge氏が、クイーン・オブ・ガットンとノビルを交配して、有名なメルランを発表し、世界中の注目を集めました。1920年から1955年の間に、英国のStuartLowも、黄色の銘花モントローズや、セイロン・グローリーなど数多く作出し、改良が進められていったのです。

弊園改良のカシオープスエテーシーメルラン‘シンジュク’

日本におけるデンドロビューム栽培の歴史

わが国におけるデンドロビューム栽培の歴史は意外と古く、徳川時代の中期ごろからであり、日本に自生しているセッコク(Den.monilifome)を長生蘭と称し、薬草として愛用し、次第にその茎葉の変化や、花を観賞するようになったようです。しかし、ノビル系本来の品種の収集が始まったのは、明治初期であり、当時は貴族趣味として他の蘭と共に英国から輸入されました。
日本で最初にデンドロビュームの交配を手がけたのは、福羽逸人氏であり、紅紫花のバイカウン・フクバを作出しました。昭和5年ごろから関東方面では、島津氏、相馬氏、李王家などで、関西では山岡氏、加賀家(後藤兼吉氏)、山本弘之氏などが中心となり、本格的な交配育種が始められました。島津氏はインドヨーやノドカ、伊集院氏は1941年に黄花の銘花イジューインを作出されました。1937年頃より、山岡健太郎氏により白花の優良花モンブランや、紅紫系の大輪花パーマーなどが発表されました。田井氏により濃紅紫色で唇弁にクリ-ム白色の目が入るコンゴーが作出されました。後藤兼吉氏が希代の銘花サキムスメ、グレイス、ヤマザキ、サクラガリなどを発表されました。
児島敏之助氏は、黄花の優良花バリアビリス‘ホシ,を作出され、また小林鉦氏は、紅紫花の厚弁大輪花のコバヤシを発表され、一世を風びしました。相馬氏は、当時大へん珍しかった、黄目の入った紅紫色の大輪花を作出され話題になりました。このバラデバ‘ソーマ’と名付けられた花は、染色体数が2n=80もあり、現在の四倍体時代の幕開けとなりました。
神戸の山本弘之氏が交配したパーマー‘ミカゲ × バラデバ‘ソーマ,の実生苗の一部が、山本デンドロビューム園の温室で初開花しましたが、優良花が多かったのでパーモスと名付けて登録しました。中でもグローリーと名付けた紅紫花は、当時としては珍しく丸弁良型の大輪花で、その後交配親として使用され、重要な役割を果たしています。 残念ながらこれらの育種先駆者たちの優秀な作出種の多くが国際登録されていなかったため、後に山本二郎により、作出者本人の名前で正式に登録された経緯がある。

ミスコバヤシバラデバ‘ソーマ’パーモスグローリー
ミスコバヤシバラデバ‘ソーマ’パーモス‘グローリー’

山本デンドロビューム園における品種改良はどのように進んでいるか

山本デンドロビューム園では1957年から本格的に品種改良に取り組みました。当時の洋ランはそのほとんどが趣味者の対象として扱われ、コンテスト入賞の条件となる花形と色彩だけが重要視されていました。そこで花き産業として発展させるためには草姿、花保ち、輸送に耐える花梗の丈夫さ、色彩の変化など数多くの改良が必要と考え、さらにそれまでの育種家が誰も着目しなかった染色体や遺伝子の研究を続けながら科学的裏付けを持った育種を心がけました。育種改良に着手するにあたり、交配の目標として山本二郎は、まず花梗を丈夫に改良して、すべての花が正面向きに整然と咲くようにすること、そして花弁(セパル・ペタル)と唇弁(リップ)の角度を大きく聞かせること、節間を短かくして花を密に咲かせること、そして唇弁(リップ)の色を多彩にして華かにすることなどを考えました。 1956年から育種を開始し、これらの目的達成のために、約10年の年月を費やしました。そして、なんとか初期の目標に添った品種として、グロリアス・レインボー、アカツキ、オリオンなどを作出しました。
次の二段階日の目標として、花弁の周辺にウエーブを入れて、小さな花にも豪華さを表現させ、しかも花弁を厚くして、花保ちの良い品種の作出を考え、更に10年の年月を費やしました。その結果として、スーパー・スター、コロナ、ウインター・キング等々数多くの新花が誕生しました。またこの時期には、ラブリーバージン‘エンゼル’のように、全部の花が前面に向いて整然と咲くような、新しいタイプの新品種も続々と生まれました。
そして1980年代後半には、ファンタジアやウエーブ・キングなどの優秀な品種の作出により可憐な花と表現されていたデンドロビュームを豪華な花と呼ぶにふさわしい程までに大きくイメージチェンジさせました。この頃より徐々に一般の人々の趣味の対象となり、年末の高級ギフトとしてもかなり消費されるようになってきて、寒さに強く、丈夫なデンドロビュームは気軽に栽培ができる身近なランとして、加温設備のない一般家庭に普及されるようになった。バブルの時代、何万円もする鉢物が盛んに売れるようになって、ラン展も盛んに開催されるようになって洋ラン人口が飛躍的に増えたのもこの頃である。
やがてバブルの終焉とともに高級鉢花が盛んに売れる時代 が去り、消費傾向の変化や時代の流れに対応した新品種の作出が必要とされるようになった。そこで時代にマッチした品種として、四倍体の持つ豪華さや花保ちの良さと、二倍体の可憐さや花付き・株立ちの良さという両者の長所を合わせ持 つ「シーマリー」「スプリングドリーム」「ヒメザクラ」「イ エローマジック」などの、いわゆる三倍体系が発表され、その営利性の高さと品質で現在市場で人気を博している。これらの品種は、わずか数節というような短い茎にでも着花し、 小苗から1作で開花・出荷が可能なため、低価格時代にあって販売しやすいうえ、収益性も高いことから国内外の生産者 から大きな注目を浴びている。
また、地球温暖化の影響は、近い将来、生産者にとっても 必ず切実な問題となりうることが指摘されているが、「ヒメ ザクラ」などのように、花芽分化に必要な低温の要求性の少ない品種が開発されたことは、その解決法を示す一つの方向として有効と思われる。さらに、黄色系品種でありながら新バルブに着花する性質に備え、さらに年末開花も可能という「イエローソング」 のような品種の出現も、デンドロビュームの育種の歴史で 画期的なできごとの一つである。  「オリエンタルスマイル」の系統のような、いわゆるア カネ色と称される新色の系統も、以前であれば趣味家の栽 培の対象でしかなかったが、消費者のニーズの多様化や、 育種により営利的な特性も具備してきたことから、今後 徐々に生産が増えていくことと思われる。  今後、最新のバイオ技術がランの育種にどのように関わ ってくるか、まだ未知数の部分が多いが、もともと色彩、 花型、その他のバリエーションに富むデンドロビュームが さらに育種改良され、いっそう多くの人々を楽しませてくれることは間違いない。


黄色品種の改良の歴史
黄色系品種の改良の歴史
左からDen.Thwaitesiae(1903年登録),
Den.Golden Wave'No.1'(1968年登録),
Den.Dream'Golden Queen'(1970年登録)
紅紫系品種の改良の歴史
左上が原種nobile、右上はDen.Lady Colman(1909年登録)
右下はDen.Konan(1968年登録)
山本デンドロビューム園が育種への取り組んでから10年余で花型に大幅な改良が加えられたことがわかる。



1960年代の弊園の研究温室1980年後半の弊園の研究温室
1960年代当時、世界最高水準と言われ海外からも注目を浴びた弊園研究温室であるが、花付きもまばらで、リップの黒目が目立つ。20年の改良を経た品種は色鮮やかで花付きも抜群、花型もすばらしくこの間の研究の成果が良くわかる。


グロリアスレインボウラブリーバージンウェーブキング
グロリアスレインボウ〔1968年登録)ラブリーバージン(1977年登録)ウェーブキング〔1984年登録〕


世界に誇るJY系デンドロビューム

 山本デンドロビューム園においてこの50年間に作出された新品種の多くが世界中の園芸ファンを魅了している。その中のユキダルマやユートピア、ラブリーバージン、ヒメザクラなど、数多くの品種が世界各地で栽培されており、各国の展示会において、100品種以上が受賞しています。
現在では、日本のデンドロビュームの育種技術は、世界の最先端を進んでいると言っても過言ではないでしょう。山本デンドロビューム園は現在、日本の育種農場のほかに、ハワイおよびタイ国に海外農場を設置しており、また世界各地の提携代理店を通じて育種改良された新品種が、世界各国に輸出されています。かつて、明治時代に外国から輸入されたデンドロビュームが、日本で大きく改良され、現在では逆に世界各国に進出するようになっているのです。
すべてのランの品種が正式に登録される英国王室園芸協会(RHS)のサンダーズリストには600品種を超えるJ.Yamamoto(山本二郎)の名が記されており、100年以上にわたるノビルタイプデンドロビュームの育種改良の歴史の後半は山本デンドロビューム園・山本二郎によって築かれて来たといっても過言ではなく、これは世界に誇れる偉大な業績である。